Abstract / Introduction / Summary:
三国名勝図会は,江戸時代後期に薩摩藩10代藩主島津斉興の命によって編纂された地誌である.薩摩藩の領内である薩摩国,大隅国及び日向国の一部について,地史や名所,その由来や名産物を記載しており,橋口兼古,五代秀堯,橋口兼柄らによって1843年にまとめられた.地域で算出する薬種類,野菜類,花草類,果実類,飛禽類(鳥類),走獣類(獣類),鱗介類(魚介類)が記載されていることから,当時の農水産業の状況を垣間見ることができる.
江戸時代は新田開発が盛んに行われた時代であり,その手法の一つとして,遠浅の海や干潟を締め切って排水し,陸地化する干拓が行われてきた.薩摩藩でも出水平野と鹿児島湾奥を中心に干拓が行われ,天保年間前後(1830–50年)には,揖宿で10ha,湾奥の加治木で12ha,國分で120haの農地が整備された(鹿児島県土木課,1934). 1843年に完成した三国名勝図会は,地域によっては海岸線に人工的な改変が加えられる前の状況を記述している可能性がある.そこで本研究では,鹿児島湾沿岸の各地域について,三国名勝図会から鱗介類の項目に記載のある海産物を抽出し,地域間の比較を行った.